2014年9月23日火曜日

2014年10月4日夜 虚淵玄ツイッター討論会開催!!

本日(10月4日)、午後7時~午後11時、『鬼哭街』Fate/Zero』『魔法少女まどか☆マギカ』『仮面ライダー鎧武』
などなど、数々の傑作で知られる虚淵玄さんの作品について、
『Fate/Plus 虚淵玄 Lives 〜解析読本』
のライター陣が、10月4日の夜、ツイッター上であーだこーだと語る会を開きます。題して、
「虚淵玄の特徴、あるあるを探せ!!」
虚淵玄さんの作品には強烈な個性がありますが、その本質はなんなのかを探ってみるのが今回の趣旨です。みなさん、どんどん虚淵さんの特徴をあげていきましょう。
誰でも自由に参加できます。興味ある方はぜひ様子をのぞいてみましょう。まどマギしか観たことない人も、エロゲー時代しか知らない人も大丈夫。あなたの目撃した虚淵玄について語ってください!!
タグは #udokuhon です!!



飯田一史 @cattower 
稲葉振一郎 @shinichiroinaba 
井上雑兵 @i_noue 
奥村元気 
 樫原辰郎 @tatsurokashi
藤田直哉 
 
の諸氏と、ぼく、山川賢一 
 が参加予定となっています。よろしくお願いします!





2014年4月12日土曜日

甲虫先生との論争について

 ぼくが社会学者である(らしい)甲虫太郎氏()と論争しているさい、かなり無茶な理屈を強弁された。しかし、どこが無茶なのかは論争をいちいち追わないかぎり第三者にはわからないだろうし、当の甲虫太郎氏に、この論理オカシイですよね、と指摘しても、彼は都合の悪い話をスルーするので埒があかない。しょうがないから、もうこの論争は終わりにしよう、と思っていたのだが、ご本人からこんなリプライが来たので、堪忍袋の緒が切れた。

いやいや、まさにそれと同じ「男二人連れで外を歩くだけで…」という所が異性愛と同性愛のダブスタ、同性愛差別の核心部分なんですよ。これは萌え云々からはスピンアウトする別の話ですが、しんかいさんは論客なのですからそのあたりは是非押さえていただきたく。

 お前プロとしての自覚が足りないぞ、というわけだ。現在締め切りに追われまくっているのでこんなもん書いてる場合ではないのだが、あまりにも腹が立ったので書いておく。急ぎだから乱文になるだろうがその辺は勘忍して下さい。
 ことのおこりは、ぼくがツイッターで次のように発言したことだった。

山:少なくとも萌えアイコンのオタキモいっていうのは、性差別批判でもなんでもなく、男が女性のイメージまとってるのはキモいというマチズモから来るものではないのかしら

すると甲虫太郎氏()から次のようなリプライが来た。


リンク先にあるのは、彼自身の次のような発言である。

甲:ツイッター等のプロファイルアイコンで、男性が例えば美少女キャラを使う文化って、国際的に見ればかなり特殊なモノじゃないかと思うのだがそうでもないのかな?
なにせ、己の性的ファンタジーを24時間フルタイムで当然に表出する文化って、必ずしも自明だとは思わないほうがいいと思うんだよね。

甲:というのは、いわゆる表現規制反対派の(例えばフェミニストの批判に対する)過剰反応や逆ギレって、こうした性的ファンタジー垂れ流しが大手を振って許され&自明視されている環境や文化と決して無関係ではないと思うので。 むしろ自分たちのほうが特殊なんだと思うほうがたぶんいい。


ぼくは以前にもこれらの発言を見ていたけれど、喧嘩するのもめんどいのでスルーしていた。しかしわざわざリプライまでされれば無視もできない。そもそもぼく自身が美少女キャラアイコン(アニメ「ポポロクロイス物語」のヒロイン、ヒュウ)の使用者なので、この意見には若干腹も立つことだし。そこで次のように応答した。

山:特殊な人間だったらキモい扱いしていいんですか。こりゃまいったな。

山:だいたい性的ファンタジーってなんですかね。ぼくがヒュウ様とセックスしたいと思ってるというんですかね?

山:このアイコンのキャラにそういう意味で欲情したことはないが。アイコンのキャラにたいしてどういう感情を持っているのか容易にわかるつもりでいるのは見下しているからではないですか

山:だいたい、男性がこういう男になりたいとか、女性がこういう女性になりたいとか思ってお洒落したりするのも性的ファンタジーの表れだと思うけどね

山:ヌードの女の子とか、性的な表情をしてる女の子をアイコンにしてるとかなら顰蹙を買うのもまあわかるけどね。大半の萌えアイコンはそうじゃないですよね

これに対する甲虫氏の返答は以下の通り。

甲: その問題についても言及しています。

リンク先の発言は次のようなもの。

甲: この問題、叩かれてるのは(見られる)「対象」ではなく、見る側の「まなざし」なのだということがどうにも飲み込めない人が結構いるんだよね…。

甲:児童ポルノ問題だってそうで、「子供の裸」がそれ自体として本質的にエロいわけじゃなく、それをエロとして見るまなざしが問題とされてるわけで。

甲:とりわけ表現規制反対派に、対象そのものがエロい(猥褻)か否かの問題へとすぐに議論を還元したがる人が目立つのは非常に痛い。 そんなことよりまず自分の顔を鏡に写してじっくり見てみるほうがよほど生産的

甲:もっとも、「(見られる)対象」ではなく「まなざし」自体を対象化するという流儀は社会学のディシップリンとしちゃ至極当たり前と言っていいのだけど、そういうトレーニングを受けてない人には何を言ってるのかさっぱりわからんという可能性は確かにないではないかもね。

甲虫氏は、一時期物議をかもした、女性メイドロボの描かれた人工知能学会の表紙についても次のようにいっている。

甲:だから人工知能学会表紙に話を戻せば、「それ自体」は特にエロくもないメイドロボの向こう側に、「まなざし」を見て取るトレーニングを積んだ人間からすれば(社会学屋だけとは限りませんよ;為念)、その絵にハァハァしてる大きなお友達が透けて見えるわけですね。それが学会誌の表紙なのはまずいと。

これについては、さる方からツイッター上で、あの表紙絵がフェミニストから批判されているのは、女性と家事労働者を結び付けるイメージだからとかそういう理由で、ハァハァがどうなんていわれてなかったんじゃない?という指摘があった。これはぼくもその通りだと思う。
 これらの発言にぼくは、次のように応答した。

山:ようするに、「いやらしい目で見てるんだろう、お前ら!」という決めつけじゃん。その決めつけこそ見下しなんじゃないのと言ってるんですけど

山:もちろん美少女キャラを性的な目で見てる人はいるだろう。しかし、女性のアイドル、歌手、俳優のファンである男性もたくさんいて、そのなかには性的な目で対象を見てる人もいるでしょう。だからといって「僕〇〇ちゃんのファンなんです」「あーその子で抜いてるのね」なんていうのはセクハラだよね

山:じゃあなんで萌えキャラのファンには同じことを言ってもいいと思うのか、その「まなざし」を問題視してるんですよぼくは。

山:だいたいこの人の論理だと彼女と二人連れで外とか歩けなくねえ?あーそれは性的なファンタジーじゃなくて現実的な相手だからいいのか。

山:するとやはり「二次元に欲情してるのはキモいから現実の異性とつき合いなさい」といってるだけなのでは。

山:まあ甲虫先生のはキモいからと言って否定はしないがキモいと思われるのは一理あるしそれを自覚すべきだみたいな話なのでそれならまあいいかとは思った

山:しかし、さっきからスカイプで話してるぼくの彼女が、アイコンのキャラを性的な目で見てるとか勘ぐる人のほうがセクハラだしキモい、と言ってるんですが、ぼくはその意見には一理あると思うし、甲虫先生もその辺自覚したほうがいいのでは、とも思いますね。

 さて、ここまでの甲虫氏の発言は、賛同は出来ないが、理屈としてそれなりに理解できるものだった。無茶な強弁が始まるのはここからである。女性からキモいと言われてるよ、とぼくが煽ったせいで逆上したのかもしれない。しかしこちらとしても特殊とか鏡に顔を映してみろとか社会学的ディシップリンを知らないとかさんざん言われているのだし、反省はしない。とにかくその強弁をここに引用してみる。

甲:(性的ということに関する異性愛と同性愛のダブルスタンダードを想起させるやりとりだわね。異性愛は表出してもエロくない領域が認められるのに対して同性愛は全面的にエロと同一視されるというアレ。)

このしんかいさんの彼女の発言にも、まさにこの問題が内包されていますね。 萌え絵問題のクローズアップが期せずして異性愛主義に埋め込まれた無意識/イデオロギーのあぶり出しになっているという。

 ぼくは最初、彼が何をいっているのかまるで理解できなかった。なんで他人の内面をやたら勘ぐる人のほうがキモいという意見が、「異性愛主義に埋め込まれた無意識/イデオロギーのあぶり出し」になるわけ?しかし彼のポストを見ていくと、どうもこういうことが言いたいらしい。

①異性愛は表出しても即座にエロ扱いはしないが、同性愛は即座にエロ扱いし、卑猥なものとみなす、差別的な思考パターンが存在している。

②ぼくの彼女が甲虫氏の意見をセクハラだというのも、この差別的な思考パターンに囚われているから。男性が萌えアイコンを使うのは疑似異性愛であるため、ぼくの彼女はそれをエロ扱いすることを嫌悪するのである。

 ①の主張は正しいが、それを悪用して導き出された②の結論はすごい屁理屈だ。ふつう①のような主張は、同性愛を猥褻扱いするな!というためになされる。つまり問題は、異性愛の表出を即座にエロ扱いはしないことにあるのではなく、同性愛ばかりをエロ扱いすることにあるのだ。
 よって、ぼくの彼女が同性愛にたいしてどういう接し方をしているか知らないにもかかわらず、異性愛にたいする態度のみをもって差別的と断じるのはむちゃくちゃと言える。
 一応断っておくと、甲虫氏はその後意見を若干軌道修正している。しかしこの問題はまったく解決されていない。

甲:で話を萌え絵に戻せば、その背後の性的関心を「見ないことにする」、異性愛主義と類似した何らかの論理なりイデオロギーなりがオタク文化の中に定着してるってことなのだろうね。 そして、それを共有しないがゆえに「見えてしまう」外部の人間と摩擦を引き起こしているというのが大雑把な構図だろう。

 ここでは、オタクが性的関心をことさらあげつらわれると怒るのは、異性愛主義そのものではなく、それと類似したなんらかのイデオロギーによるものであるとされている。しかし問題が、即座にエロ扱いしない側のほうにあるとされているのは前と同じである。そりゃそうだ、甲虫氏は、萌えアイコンを即座にエロ扱いする自分の態度を正当化するためにこの理屈を持ち出したのだから。
 ぼくは彼の主張に対して、以下のように述べた。

山:異性愛と同性愛のダブルスタンダードがどうという話で、同性愛を全面的にエロと同一視するのはよくないという話になるのかと思ったら、異性愛もエロと同一視しろという話になるのか。これは予想外の展開だった

山:ぼくはゲイの友だちからもらったカヲル君のイラストもってるけど、それを見て別に性的だとかエロいとかは思わなかったけどね。単にうまい絵だからもらったので。甲虫先生の論理だとそれはハァハァしている書き手が透けて見えるエロいものなんだよね

山:同性愛者も異性愛者も、性的な側面のある愛情の対象を描いた表現はみなエロと同一視されるべきであり、それが両者を公平に扱う術だというのが甲虫先生の意見だから。

山:同性愛、異性愛、ダブルスタンダードといった用語を使い、なんとなく論争相手が差別的であり自分はそれを正す側である、という雰囲気を醸し出しつつ、じっさいにはめちゃくちゃ言ってるね

 甲虫氏は、その後もぼくの反論を無視して先の説を主張し続け、さらに深い墓穴を掘った。少なくともぼくにはそう思える。

甲:この指摘、別にしんかいさんの彼女を批判する意図はないので念のため。 ただ、異性愛者の穏やかな性的関心は「空気」のようなものとして扱われがちなので、ことさらに性的関心があると指摘すると過剰だと感じる人が多いけど、それって実は異性愛主義に固有の現象なんですよというお話。

甲:そもそも(血縁の)家族という概念じたいが凄まじく「性的」なものなのであり、家族の向こう側にはハァハァだのアヘアヘだのが透けて見えるのだが、それを恣意的に見ないことにし、むしろ見る者をセクハラか変態呼ばわりするのが異性愛イデオロギーである…とまで言えばかえってわかりやすいかな?

 この主張に、ぼくはこう述べた。

山:つうか甲虫先生は異性愛関係に性生活が透けて見えるのがあたりまえであるとおっしゃっているので、萌えアイコンの人も恋人と連れ立って歩いている人も性の対象をわざわざ表出させていることには変わらなくなり、萌えアイコンをキモいとする根拠がなくなるのではないか

山:甲虫先生が自分の言ってる通りにふるまっているならば、「えっ子供を連れ歩くんですか。アヘアヘの産物を人に見せつけるなんてキモいですね。否定はしませんが周囲の目を自覚したほうがいいですよ」というようなことを普段から人に言ってるはずだが、これは相当キモい人だよな

山:いや、ここまで極端な話をしなくても、甲虫先生の論理だと「今日は妻の誕生日なんで」という人に「お!奥さんたっぷり可愛がってやんな。むひひひ」というようなことを言う人が異性愛イデオロギーから解放され家族関係の真実を見つめる人ってことになっちゃうよね

山:けっきょく甲虫先生の萌えアイコン使用者にたいするまなざしがセクハラそのものなので、自分の態度を正当化しようと理屈をこねているうちに、セクハラ親父みたいな人を肯定する羽目になってしまったのではないだろうか

 甲虫氏は、「あなたのやってることはただのセクハラですよね」という批判に反論して、例の異性愛主義的イデオロギーがどうという理屈を持ち出してきた。「おれは異性愛主義イデオロギーから解放された真実の徒なんだ!差別的なのはお前らのほうだ!」というわけである。しかしそのじつ彼のやっていることはセクハラなので、結局はセクハラ親父を肯定することになってしまったのだ。
 ぼくが言いたいことは、これでほぼすべてであるが、多少補足しておく。甲虫氏の決定的な誤りは、異性愛をエロに直結すると反感を持たれるのは、異性愛のエロ的側面が無意識的に隠蔽されているから、と考えたことだ。
 この手の人たちは、お前には見えない何かがおれには見えているぞ、といって他人を見下すのが大好きだから、そういう欲望がついにじみ出てしまったのだろう。そして罠にはまった。
 異性愛の性的側面は、別に隠蔽などされていない。街を歩くカップルを見て「どうせこれからセックスする場所を探しているんだろう」などという輩はいくらでもいる。異性愛をエロと直結する発言がしばしば反感を持たれるのは、ただたんにマナー違反だからだ。そして、異性愛者にたいしてはこのマナーを守るのに、同性愛者にたいしては平気でマナー破りをする連中がたくさんいる、というのが「異性愛と同性愛のダブルスタンダード」の、本来の問題であるわけだ。
 甲虫氏の思考パターンは、むしろ同性愛者を差別する側のそれにちかい(ただしぼくは、オタクが同性愛者並みの差別を受けているとかいうつもりはない。オタクがマイノリティであるとは、ぼくも思わない。あくまで甲虫氏の内面のメカニズムが差別者に似ているというだけの話である)。彼はオタクにたいしてばかり、このマナー破りをしようとするからである。また、ぼくは彼が、オタクの性的関心をすべてお見通しであるかのようにいうのは、見下しているからだろうと述べたが、同性愛を差別する者が平気でマナー破りをするのも、見下しているからだろう。
 ぼくは最初、萌えアイコンがキモいと言われるのは、男性が女性の外見をまとっているからではないかと主張したが、どうもそれはまちがいだったらしい。しかし、オタクの萌えアイコンがある種の人々には逸脱的な性行動とみなされており、ゆえにキモいとされているのはたしかなようだ。